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類は友を呼ぶ

140927ローソンのゴミ
日本もまだまだ不細工な人間がいることが悲しい。
写真の風景は朝6時前に起こったことだ。
20代後半の5,6人、奇声をあげながらべた座りで食べていた。

こんな早い時間に弁当を食べなくてもよさそうと思うが、弁当では
なかったかもしれない。

やはり結末を云うと親が悪いんだろうな。わたしを含めて世の親は
子供を育てるのは必死のパッチにならないといけないことを胸に刻もう。
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京都の地名は難しい

140928京都の地名
京都へこの秋、レンタカーを借りて同級生10人ほどでツアーを組んでいたが
3人ほど諸事情でいけなくなったので、あらためて来年の4月桜の花の散る
ころを狙って 行くことにした。

京都は娘が嫁いでいるせいもあるが、大学から数えたらもう何十回行ったこと
だろう。車だと3時間ちょっとで行ける頃合のところだ。
でも京都は歴史が古いだけあって地名が読めないで最初は苦労したものだ。

①糺ノ森 ②栂尾 ③化野 ④鹿ヶ谷 ⑤御稜 ⑥蹴上 ⑦車折神社 ⑧粟生
⑨椥辻 ⑩帷子ノ辻

これ以外にもいっぱいあるだろうけど私の思いつくものを書いてみた。
最後の帷子ノ辻は今回地図を眺めていて読めなかった地名だ。太秦の近く
にある嵐電の駅名である。あなたはどれだけ読めましたか。

①ただすのもり ②とがのお ③あだしの ④ししがだに ⑤みささぎ ⑥けあげ
⑦くるまざきじんじゃ ⑧あお ⑨なぎのつじ ⑩かたびらのつじ

②とがのう はデュークエイセスの「おんなひとり」でおなじみの♪京都 栂尾
高山寺~と歌われるので知っていたかたが多いのではなかろうか。

これで頭の体操をおわります。

ツタンカーメンの呪い

140924ツタンカーメン
このあいだどこかのテレビ局でツタンカーメンの呪いをやっていた。
なんかこの像を見ただけで呪われるんではないかと錯覚を覚えた。

ツタンカーメンの金像はこの写真では金と緑青が吹いたように見えるが
わたしが実物を見たのは確か東京オリンピックの翌年だったように思うが
磨きに磨き上げており、まったくの金ピカですごい稲光でした。

場所は東京上野博物館だった。西郷隆盛の像をみてどっしりしてるなあと
思ったあとだったので、何と小さい像だろうとその迫力な無さにビックリした
記憶がよみがえる。天地が60cmくらいしかなかった。
12,3歳の子供の物のように思えた。実際もそうだったのだろう・・・。

あれ以来ツタンカーメン展が日本で何回か開催されたように思うが実物が
来日したとは聞かない。あの時、目の前で見れたことに感謝する。

あれ以来半世紀が過ぎたし、30cmの所に顔を近づけてじっと見たけど
呪わないでほしい。

無害流いけばな

140925酔芙蓉
酔芙蓉の花がいまが盛りであるが、3年前に京都で買った苗木も
2階の踊り場から撮影してもこんなに見える大きさに成長しました。

午前中は真っ白、午後からピンクに変わり夕方日が沈むころには
赤くなっておもりこみたいに丸くなってしおれます。

しかしこの花はここからが命を復活させます。というのはわたしだけの
楽しみかもしれませんが・・。
このしおれた花を摘んできてグラスに生けます。そう、いけばなです。

女房にいわせたらそんないけばなはないときっぱり言い切ります。
朝早くお客様の入ってくる玄関にこれをいけていると、すぐに見つけ
られ違う花と変えられてしまいます。

いいと思うけどなあ。   「無害流いけばな」とでもしておこう。

山里にやってきた香西かおり

140923香西かおりショー
中山町のクリ会場に香西かおりさんが来るというので、わたしだけ仕事を休んで出かける。
いまわたしが注目する女であるが、マイカーを途中で降ろされてシャトルバスに乗って会場
まで行きショーを見て帰るまでかなりの時間を費やした。
こんなところへはあまり行くものではない。時間のムダになる。

いっしょに行った連中が坂本龍馬の脱藩の道が見たいというので、その足で梼原へ向かう。
もう夕方になり、少し暗くなった脱藩の道を見て納得する。
香西かおりと坂本龍馬---さあどちらだというと、坂本龍馬に分ありか。

朝9時に出て帰ってきたのが夜の10時を回っていた。 タフガイ(死語?)

スタジオプロヴァンスでコンサート

140919ムジチ
3月、6月、9月、12月と3の倍数月、第三金曜日はコンサートの日である。
バイオリン+ピアノ、ギター(歌)+バイオリン、フルート+チェロ+ピアノで
あとは女性3人による合唱と多彩なプログラムであった。

なにしろ14畳くらいの部屋に入れるだけ入って簡単な軽食が出てドリンクが
セットになっている。2年くらい前までは約5年間くらい毎月開催していたが、
準備等に時間がかかり、疲労困憊で3ヶ月に1回となった経緯をもつ。

バイオリンの名手は松山から来てくれるし、チェロは香川県からの参入であり
フルートは四国中央市から出演してくれた。みなさん夜遅くに帰るのは大変な
ことであろう。ご苦労さまでした。

12月はオペラで締めくくりになりそうだ。

遺影用

140918遺影02
区切りのいいところで自分の遺影用写真を女房にシャッターを助けてもらった。
わたしの母、女房の両親はわたしがシャッターをおろした。(女房の母はまだ存命)
そのうちお前も作っておくかと、じわっと聞いてみないといけない。

顔に白筋がはいっているのはテカテカの印画紙が乱反射して男前を台無しにした。
実際はこんな蜘蛛の糸みたいなものはないから。

この写真は女房に一通と息子に一通持ってもらった。一通だとどこへしまいこんだか
あわててはいけないので念をいれた。   これでいつでもOKよ。

タネあかし

140916アラスカ魂
「予餞会」の真実。
過日の予餞会の話は、さもわたしがメインヴォーカルを担当したように書かれていたか、
読む人が勝手にそう感じたか、定かではありませんが・・。

メインヴォーカルを担当したヤサ男は引き入れた3人のなかの一人でした。この男は英語も
堪能で歌もうまい男でした。
そこでわたしが担当したところは、最初と中ほどと最後に出てくる低音の‘Way up north’と
何と云っているのだとわからないまま‘Rush’で行こうと決まった連続して出てくる掛け声と
バックで声をそろえて歌っているパートしか声をだしておりませんでした。

最後にフェードアウトしていく歌声は、だんだんと1本のマイクロフォンから離れながら声が
消えていく手法をとりました。これが受けた原因です。

タネを明かせばこんなことでした。黙っておれば、わたしがメインヴォーカルとして幕を引きた
かったのですが、良心がとがめました。

思い出


<You Tubeより借りる>
「アラスカ魂」ジョニー・ホートン 懐かしい名前であり、歌も聴いてると涙が出そうになる。

私が卒業した高校には「よせんかい」なる催しが代々伝わっていた。「よせんかい」とは
そもそも何ぞやとなるが、昨今調べてみると「予餞会」と書くらしい。
「予餞会」とは旅立ちや門出を祝って詩歌や贈り物をすること。それを卒業式の前にあら
かじめ行うことから「予餞会」という。・・・・らしい。

そこで「アラスカ魂」に戻るが、わたしも三年生で卒業にあたり何かをやろうと、友達3人
計4人でこの「アラスカ魂」を歌おうと話し合って、誰かが譜面と歌詞を手にいれていた。
わたしがレコードをもっていたので、3ヶ月くらいまえから練習をし始める。
2ヶ月くらいまえに運営委員会に楽団がこの歌を演奏出来るかと問い合わせをしてもらい
OKが出た。いま聞いてみると演奏も歌もそんなに難しいものではなかった。

会場は東映劇場という映画館を一日借り切って出演するものは一世一代の大勝負である。
予餞会の当日になったがポピュラーソングは私達だけだったので、リハーサルをしてくれた。
うまくいったのである。みんな自信をもって本番に臨み歌謡曲ばかりの中で拍手喝采が
やまず、アンコールの波があったけど再度は歌わしてはくれなかったのが残念!
でもいい気持ちで卒業できたのである。その記念すべき歌が「アラスカ魂」だったのである。
{アラスカ魂}バンザーイ!  {ジョニー・ホートン}バンザーイ!

頭を悩ます白線

140912電気配線文字入り
上下3つのブロックに別れたスイッチ。上はトイレの外、中はトイレの中、下は換気扇。
なぜこのようにスイッチをはぐったかというと、上中のうちどれか一つのスイッチを入れ
ればトイレの中と外の両方に灯が入るように配線を変えようとしたしたのだ。

しかしわたしが悩んだのはBがなぜ白い線がきているかということ。あれが黒い線で
あれば何も悩むことがないのだけれど、なぜBが白線なのだ。上のスイッチをいれると
ショートするのではないのか。わけが解らなくなって、その道のプロにFAXを入れて
尋ねると、スイッチOFFのときのAB間のボルトを計って100Vで、スイッチONにしたら
0ボルトになればCとDを結べばどちらのスイッチをいれても中外とも灯がつくと、頭の
割れるような回答。

用はBがマイナスの黒線であれば、わたしもCとDを結線すればいいことが理解できる。
このB線が反対側の基のところへいけばマイナスに結線されているのだろうとのこと。
それなら黒いマジックでもちょっと塗ってくれていれば悩むことはなかったのだ。

でも電気がわかる人はそんなことしなくても左側を+にしたなら右側は当然-になる
のは自明の理か。わたしは素人ゆえに白線で結線されたら+と融通の利かない頭を
しているのがいけなかったのだ。つらッ!

大きいお月さん

140908中秋の名月04
6時15分ころ急いで金子山へ登ろうと車を飛ばすが頂上まで間に合わずあわてて
車を止めて三脚を据え、デング熱に犯されそうなやぶ蚊に刺されながらカメラをセット
して初めてシャッターをおろした一枚である。(手前の山は土居町の赤星山です。)

まだ太陽の光が当たっている様が見て取れる。中秋の名月を撮影したのは10年ぶり
だろうか。きょうは雲がなくて調子よく撮れた人がたくさんおられたのではなかろうか。

空が真っ暗になってからは普通の満月にしか写らないと思うけど、太陽が当たり、空の
青さがまだ残っている、この時間に撮るのが名調子ではなかろうか。

大きなクスリ袋

12クスリ袋
わたしは高血圧と肩こり、腰痛、そして糖尿病の予備軍。
糖尿病のクスリはまだ飲んではいないが、またそのうち飲まないといけないだろうか。
運動と食事に気をつけるようにといつも言われている。

食事はいい加減だが、運動は毎朝4kmを歩いている。夏前より体重は3キロ増えて74kg
になってしまった。これに関しては先生はあまり心配しない。増えすぎじゃあないですかと
聞いたら、何か変わったものでも食べていますかというから、アイスキャンディをたくさん
食べてますと云っといた。

血圧はいつ計っても120/74くらいだ。クスリを飲んでの話だけど、それにしても低い
のではなかろうか。先生にいつも先生低過ぎないですかと質問するがこんなもんだと云う。
130/85くらいが普通ではないのですか。
今朝病院で計ったときは121/60だった。先生、クスリ飲ませ過ぎではありませんか。

毎回、どっか旅行にでも行くほどのポリ袋をくれる。
持って帰る荷が重い。

上甲監督、安らかに。

11上甲監督逝く
ああ悔しい、そんなむしゃくしゃした一日であった。
わたしの息子が西条高校の球児だった15年ほどまえ、まだ宇和島東にいるときから
存じ上げ密かなファンであった。この人が甲子園に行けば何かをやってくれるという
安心感のあるいい男でありました。

わたしより若いが西条高校との練習試合のとき、世間がもう監督業もおだやかになりはじ
めたころ(宇和島東時代)なのに西条球場でシートノックをしているとき、大きな声が聞こえた
と思った瞬間ノックをしていたバットをショートの選手に向かって投げつけて、戻ってこい!と
どなり、帰ってくるなり往復ビンタを5回くらいくらわせた。ものすごい大きな音が球場
全体に鳴り響いたのである。アウェイなのにとみんなあっけにとられた。

それを見た瞬間からこの監督のファンになった。
暴力では選手は育たないなどと奇麗事を言い始めた頃である。監督の暴力がない
チームは多分甲子園にはいけないと思わなければいかん。あまりひどいものはいけないが
暴力賛成派である。頭の一つ、ケツの3ッつ、ビンタの3ッつくらい暴力を振るう監督でないと
強いチームは絶対に作れない。  
わたしはこれが持論だから困ったものだ。

上甲監督にはいろいろ思い出が多いが、球場外でタバコをすっているときに何度か立ち話を
したことがあるが、あのバットを投げつけるような気迫はみせない穏やかな人であった。
わたしに高校野球の面白さを教えてくれた唯一の監督であった。やすらかなることを・・。