SAも様変わり

70新東名道路のSA

箱根からの帰り道、御殿場から三ケ日(浜松)まで新東名高速道を通って帰ってきた。
写真は都会のデパ地下みたいな風景だが、これがサービスエリアだ。

たまげたのは生鮮野菜や肉類まで売っている。センターが食事をするところでその
周りはテナントみたいにいろいろな業種がはいっている。
野菜なんかは少し割高と思えたが、いったい高速SAで大根を買ってかえるのだろうか。
それがさにあらんや、わざわざ高速に乗って生鮮品を買いにくるという。

まだあまり知れ渡っていないのか、客は100人ほどしかいなかったが清潔で満足である。

嗚呼、パワーが失墜か

67箱根神社パワースポット九頭竜神社

箱根神社(芦ノ湖の湖岸に見える赤鳥居)の中にある九頭竜神社の分社にお参り。
このすぐ直前に参った箱根神社。これで2神社のパワーをもらったのであった。
あとは箱根駒ヶ岳の山頂にある元宮神社これで3大パワーをもらったと思い込んで
いたが、道玄坂のオキミ姐さんが教えてくれたのは、箱根小涌園にある山王神社
だったような気がしてきた。

もし小涌園の山王神社だったら、わたしのミステイク。パワーが2/3しかもらえて
いないではないか。いまさらオキミ姐さんに聞く気がしない。電話ではなんとかホテルの
そばにある神社だといった。それなら山王神社なのだ。ここには行ってはいない。

パワーをもらえると思って年末ジャンボを買ったのに・・・。

念願だった富士屋ホテル

69富士屋ホテル

宮ノ下「富士屋ホテル」別館。美智子妃殿下がまだ正田美智子さんと呼ばれていたころに
家族旅行で宿泊した別館である。・・・とホテルの人に聞いた。
すべて木造でかなり古く感じた。美智子妃殿下がご両親と写した記念写真が残っていた。

このホテルも建て増し建て増しできたのか、内部も迷路のようになってごちゃごちゃしていた。
驚いたのは浴場であった。男湯は5人入ったら満員御礼の札をださないといけないくらい
狭かった。不釣合いにバスタオル、フェイスタオルが山のように積まれていたことが、これで
我慢せいといいたいかのようだった。
男湯は疎外されたように小さいのに、女湯はその5倍はあろうかと思うほど立派であった。
女湯のローカを歩きながら歩測しただけで見たわけではない。

御殿のようなところにはとてもじゃないけど泊まれなかった。そこに泊まる人たちには
短冊の2枚分くらいありそうな大きな木札鍵が渡される。
夜はフランス料理だったが、テーブルにでんと置かれた木札鍵を持ってる人は眩しい。
よし今度来るときはディックで買った木材に花を彫って持って来たい。

葉山御用邸を見て満足

65葉山御用邸

鎌倉へ来た限りは葉山御用邸へ行かずしてなにをのたまうかとばかり
女房は御用邸へ行ってほしいと懇願する。
いっても周囲は垣根に囲まれて何も見ることが出来ないといっても
それでもいいという。

ま、鎌倉から10分あまりだから別にいいかと逗子をこえて御用邸の
前の三叉路の横の葉山警察署に車を止め、女房一人が小走りで向かう。
警護官と5分くらい話し込んでいた。

後で聞いた話だが皇族ご一家が訪れたときはどんな警備をするとか
海岸のほうから回ればお姿を拝察できるのかとか、バカバカしいこと
ばかりを聞いていたみたいだ。

心が御用邸のことでいっぱいになり、つい足も小走りになる。
あの警護官はイケメンだったと、5分くらいしか経っていないのに
はやくも友だちになった気分らしい。
風が悪くていっしょにはとても行けない。一念の想いがなせる業か。

ああ鎌倉や鎌倉や

64明月院

45,6年まえよく鎌倉へ梅とかあじさいとか季節によって写真を
撮りに出かけたものだ。朝の4時ごろ東京を経って横浜新道を通って
鎌倉へ入ったものだ。今みたいに木戸口があり拝観料をとるなんて
ことはなかったはるか昔。

今回東名を町田でおりたら本当は国道を下がるつもりだったが、ナビが
横浜新道へ入れとあったので、ああ懐かしやとそのとおりにする。
横浜新道といえば、ちょっとややこしいが国道1号線であり、その昔
フランク永井が歌った「夜霧の第二国道」のことを指す。
鎌倉、湘南、箱根へ行くときは当時はこの道路が主流であったのだ。

写真の明月院もいまの季節はあじさいも咲いておらず、ひっそりと
した佇まいであった。

鎌倉はわたしにとってはとても哀感のある地名だ。
二十歳のとき彼女らしき女が「鎌倉へ遊びに行かない?」と云われたが
当方軍資金がなく、素直にその旨白状したら「いいわよ、電車賃出した
げる。行かない?」とはずんだ東京弁でいわれた。

北鎌倉駅で降りて円覚寺、縁切り寺、明月院、建長寺、鎌倉八幡宮と
歩き、それから江の電で稲村ガ崎、七里ガ浜、江ノ島と一日遊ぶ。
当然電車賃、昼食代、夕食代、すべて彼女が出した。

男の面目台無しと思いながら着いて行ったほろ苦い思い出があったのだ。
それが鎌倉よ。