丈夫な100歳

60母100歳

我ら夫婦が結婚したころ、義母は60歳だったのか。
今日は生存せし子供たちが全員集まって母の100歳を祝った。
お食事処のご好意で花束とケーキのプレゼントのサプライズがあった。

食事後、若い頃から義母がよく歌ってきかせてくれた「青葉茂れる桜井の」が
まだ歌えるかわたしがリクエストしたら、まかせときとばかり15番くらいまで歌った。
あの有名な楠木正行(まさつら)の物語である。

あとのことは少し忘れ加減であるが、この歌だけは正確に歌ってのけたのだ。
耳がとおいのに少し難があるがまだまだ使えそうだ。
100歳にして普通に歩けるのだから・・・・・。
人の顔をみると墓参りにつれていけと合言葉のようにいうので、食事のあと
墓参りをした。ちゃんと線香とマッチは持っていた。



「青葉茂れる桜井の」の一番の歌詞をのせてみます。

1.青葉しげれる桜井の 里のわたりの夕まぐれ
  木下陰(このしたかげ)に駒とめて 世の行く末をつくづくと
  偲ぶ鎧の袖の上(え)に 散るは涙か はた露か

国道消滅か

59国道439号

これが国道か。
四万十市から剣山のふもとまで200kmはあろうかと思う長い国道が
国道439号線である。みんなは「よさく」と云って親しまれているが
国道なんだか、一般市道なんかよくわからない国道で有名であろう。

道の駅「布施ヶ坂」から道の駅「四万十大正」までいくのにこの村道か
林道かわからないところを2時間もかけて走った。

途中、工事中で20分ほど待たされたが、わたしの前の軽四のおねえさんが
旗振りのおじさんとかけあっている。
こってりの土佐弁で時間で通れるときと待つときがある看板が出てた出ていないで
討論している。

一段落してそのおねえさんがわたしに「おたくはその看板を見たがかあ」と
聞かれたがわたしも見た覚えがないと云った。そしたらまた旗振りの人にくってかかっていた。
軽四のよこには国土交通省〇〇事務所と書いていた。
どうみても役人には見えなかった。

申し訳ない

高知から大豊までの32号線で後の車に申し訳ないことをしてしまった。
わたしのすぐ後ろを走る若い青年が、わたしが60キロで走ってはいたが
抜きたそうに後につけるので、広い場所にでたら左によけてやろうと
走っていてやっとよけれる50mくらいの長さの路側帯があったので
止まるウインカーをだしたら、横をすっとぬいて行き、ありがとうの
ウインカーをピッカピッカしてくれたその10秒後、わたしは路側帯に
宇宙へ飛んでいきそうな丸いお椀がこちらを向いて三脚で固定されて
いるのが見えた瞬間、前方をみるとお巡りさんが旗を振っていま抜いて
いった青年を広場に停止させた。

わたしの後ろからきた単車も旗を振られて連れ込まれた。
お巡りさんはわたしではないと旗の振り加減に神経を使っていた。

もうすこし避けるところが前方ならば、彼はわたしのうしろについて
走っていたので15000円を払わずにすんだのに・・。
私は悪意があってよけたのではなかったのだが・・・・・。



この光景が4年前、わたしが青年と同じ運命だったことがある。
奈良の吉野桜を見に行く途中、ああここでネズミ捕りをやってるね。
帰りは注意して通ろうねと、同行の人に話していた。

帰り道、わたしの前のダンプカーがえらくおそいスピードでずっと
走る40キロだ。クソッと思っていたらスーッと横へよけてくれた。
もたもた走るな!とばかりアクセルを踏んだ瞬間、前方でお回りさんが
旗をふっているではないか。午前中やっていたところだった。
ダンプカーはバカ笑いをしながら通過していった。

あのダンプの運転手は確信犯である。
わたしは親切心がアダになっただけであることを力説しておこう。

幼稚園の運動会

54遥哉・悠人運動会

孫の上と下がダブる運動会なので見に行く。
小さな運動場に思いっきり練習の成果を披露している。
孫というものは面白いしぐさをするので笑えるのはどこも同じか。
孫二人は赤とピンクの帽子をかぶっている。
下の孫は自分が何をしているのか、さっぱり分かっていないのではなかろうか。
台風がこようかという中、この日だと晴れの日を選んだ先生は鼻が高かろう。
今朝はもう雨が降っている。

自分ところの孫を見分けるのには靴の色を特殊なものにしておくか
帽子の上に◎を書いておくかしないと、いちいち親に聞かなければならない。
先生は細身が圧倒的だが中に安定した先生もいた。かわいい。

北方4島の考え方

今朝テレビを見ていたところ、ロシアから若人500人が日本にきて半日で帰っていった。
なんのために半日かは不明だが、もっとバカげたことがあった。
日本人の若いのが「北方4島はどこの国のものですか?」と質問していた。
北方4島はロシアのものに決まっているだろう。

おまえらが生まれる前に日本が方々と戦争してロシアはちょっとしか参戦しなかったが
そのロシアに4島はとられたのだよ。
沖縄はアメリカがとっていった。

戦争ってそんなもんだろ?

ロシアからしてみれば戦利品だよ。日本は何を勘違いしているのだ。
戦争に負けたら何かの負を負わねばならないのは常識ではないのか。
負けてとられたのに、あれは日本の領土だと吠えるのは筋違いではないのか。

アメリカは友好国なので沖縄は帰してくれたが、ロシアはそうはいかんぞ。
バブルがはじける前に1島5千億円、4島で2兆円ならロシアもその気になったかも
知れないのに・・・。日本人ってバカね。

外と内

53自由軒ラーメン・沈下橋

国道194号を南下して道の駅の踏破に向かう。
いの町にはいってかなりはしったところにラーメン屋さんを発見。
194号と平行に仁淀川が流れている風景の中にあった。
30台くらいの車が駐車している。昼は少し過ぎていたけど昼ごはんはまだ
食べていなかった。車列を通り越していまのは何だということで
ひっくり返す。ラーメン屋さんではないか。名誉のために名は伏せておこう。

こんなに車の列があるとどんなにかうまいだろうと少し待って車を駐車する。
中でも少し待たされて、味噌ラーメンと塩ラーメンとギョーザを注文。
私は塩ラーメンだったが、ひと口食べた瞬間これはラ王と同じだと思った。
とりわけ外の車の列と比例しない。ギョーザも普通の下であった。

この山間部で生活している方々はこれを天下一品と思うのか。
京都と愛媛が1台ずつあとは全て高知ナンバーだった。
外と中がこんなにギャップがあるのは初めてであった。
香川のうどん屋は、車の数と中の味は比例するのだ。
それと同じ考えをしたわたしが悪いのか。払う金が惜しかった。


不満をのこして車に乗り込み、続けて南下する。5分くらい走ったところで
四万十川の沈下橋にも負けない立派な名越屋沈下橋が仁淀川に架かっていた。
この風景で腹につかえた重い気持ちがふっきれたのだ。
右の地続きで落ち鮎をねらって竿を振っている人が見えた。釣れたかな。
流れの変わり目、いいところにいるではないか。

免許証はくれたが・・

51免許証

もう何回目の更新だったろうか。わたしが始めて免許証をもらったときは
いまの免許証の2周りくらい大きくて、固い台紙を半分に折ってその中には
3つ折のぺらぺら紙がついていた。

ポケットに入りにくいので、ぺらぺらだけを切ってまたその周囲をはさみで
切って小さくして携帯していた。

ある日東京で人の車を借りて奥多摩へ彼女をのせてドライブとしゃれていたが
整備されたドライブコースをルンルンではしっていたが、上り坂でトンネルの
中でとろい車を追い越して明るいところへ出たところで白バイに捕まった。

スピード違反、トンネル内追越、もう一つ忘れたが3つの違反で、
のちハガキがいくから第六方面隊小金井支所まで出頭せよと云われた。
後日そのはがきと免許証を持って行った。
切り刻んだ免許証を見て「これはなんだ!」といまみたいに優しくはない警官に
一括され違反がもう一つ増えた。

また何日かして同じところへいったところ、7千円の罰金、もし罰金がはらえない
ときは3ヶ月の懲役になります。好きなほうを選んで下さい。
好きなほうなんて・・・。でも7千円は昭和40年ころだから痛い金額だった。
これが初めての違反だったのでよく覚えている。


そうそうこんなことを言おうとして免許証を載せたのではなかったのだ。
いままで何回更新するたびに写真を撮られたが、今回ほど自分が「ああ
歳をとったなあ。」と思ったことがなかったということを言いたかった。
長い更新回数のなかで1回だけ5年の優秀賞をもらったことがある。
あとはみ~んな3年の残念賞でした。